峠を越えて

日曜の夜、早めに切り上げて家に帰る。
私の場合、キッチンの仕事が終わればあとはコンプータに向かうだけなので、
家でもできるのだ。
ナオトさん、銀次親分をよろしくね。銀さん、ごめんね。


午後に酸素室を設置してかられんちゃんを退院させた。
450mlを抜いた後なのに、利尿作用でふたたびパンパンになった膀胱を
圧迫排尿で空にしてもらった。まさに絞り出す、という作業。
ぬいぐるみ状だったれんちゃんは大声で叫び、
先生に強烈なキックを喰らわせていた。
これで二日はもつかな、とのこと。圧迫も穿刺も、どちらも辛いなぁ。
三日おきに通院することと、夜中でも肺が鳴ったら電話を、と
先生の携帯番号をいただいた。心臓の動きを増強する薬も出た。


退院から7時間の不在、覚悟をして自宅のドアを開ける。
はたしてれんちゃんは、ぐったりと横になっていた。
寝てるというより、目は開いたまま、意識がないようだ。
胸と腹の上下動が激しく、酸素室にいるのに全然ラクそうじゃない。
一粒だけ小さなうんちが転がっていた。どうやって出したんだろう。
酸素室はれんちゃんが暮らしていたケージの半分の大きさしかなく、
足が立たなくなったれんちゃんは病院の酸素室でもドタンバタンと
倒れまくって壁に激突するので、四方をタオルで包まれていた。
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外に出して抱いてみると、舌は出たまま(れんちゃんでは初めて)、
下半身は冷たくなっていた。これじゃあ立てるはずもない。
あぁもうダメなんだ… だったらもう酸素室じゃなくて、
今夜はずっと抱いていてあげようね。
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酸素製造機は、チューブを替えると酸素マスクにもなるのだよ。
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れんちゃんを腹に乗せ腕に抱き、ソファに埋もれる。
機械が酸素を作り出すボフッボフッという音が、心臓の鼓動のようでもある。

家中のろうそくを灯し、お線香を焚き、
ティッシュ玉をばらまき、納豆巻きをお供えして、
風太召還の儀。
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れんちゃんをだいすきだった風太。
風になった風太は観音さまに預け、龍神さまの背中に乗せてもらった。
どうかこれ以上れんちゃんが苦しまなくてよいように、
迎えに来て、よいところへ連れて行ってあげてね。
風太がいてくれるなら母さんは安心だから、
れんちゃんを送り出せるんだよ。


こんなに長い時間、れんちゃんを抱っこしてあげたことはなかったな。
「抱っこして」どころか「ハラへった」も「遊んで」もないけれど、
抱っこしているときが、いちばん安心でしあわせそうだった。

腹と腹とが密着して、れんちゃんの心臓の動きが痛いほど直に伝わってくる。
酸素室にいたときとは全然違って、それは穏やかでやさしかった。
医療でなくとも作用するものの存在を確実に感じる。
それは祈りであり願いであり愛であり、お互いの間にだけ流れるなにかだ。
今このとき、れんちゃんは私に命を預け、私はれんちゃんの酸素室になり、
わずかに命を支えている。誰に預けたいかという選択を、動物はできない。
病院にいれば酸素室で放置されるだけで、れんちゃんが何度壁に頭を打とうと
それをいちいち支えて防いでくれるヒトはいない。
れんちゃんを守り、たいせつにできるのは、私だけだ。
そのことを示し教えながら、それに応え続けてくれたれんちゃんの生涯だった。

苦しさが収まっているのか、鼓動が弱くなっているのかはわからない。
ただ、もしもこのまま眠るように旅立てるのなら、
ほんとうにしあわせなことだなぁと思うと、涙が止まらなかった。
こんなしあわせがあるだろうか、と思った。
心臓のお薬も、もう飲まなくていいよね。
このまま静かに休めばいいよ。


あの日病院で現状を知ったとき、もうこれ以上の痛みも苦しみもムリ、
もう不要、もう解放してあげたい、と思った。
正常な動きを止めた臓器に苦しめられてひとりで死ぬよりも、
私が日時を決めて、腕の中で送ってあげるのがいちばんと思った。
ひとりで生きられないれんちゃんとここまでいっしょに生きて来て、
ひとりで死なせるなんてあり得ない、と思った。
手術などの積極的な治療をしないことは先生とも共通しているし、
七夕の夜にお空の星になるなんていいじゃない、
もう今日で終わりにしましょうよ、とさえ思った。

心臓発作が起きれば一瞬、そうでなければどのくらい苦しむのだろう。
そして誰もがきっと「苦しまなかったはず」となぐさめ、
自分もそう信じようとするけれど、きっと
「苦しんでひとり死なせた」という後悔からは逃れられない。
風太でさえ今ようやく、「今は苦しくない」と思えるようになったけれど
二度とそうしたくないという気持ちは消えてはいない。


毎晩、れんちゃんの部屋を開けるには覚悟が要った。
いない間に重積発作が起きれば、そこにいるのは
口から泡を吹き意識を失ったれんちゃんだ。
深夜の救急病院に駆け込むたび、「もう戻りません」と宣告された。
そのたびに「ひょこっ」と音を立てて戻って来たれんちゃん。
糞尿まみれだろうが、発作の跡があろうが、
れんちゃんがきょとんとそこにいるという毎日が奇跡だった。
毎日「行って来るね、また会おうね」「ただいま、また会えたね」と声をかけるけれど、
それさえもあまりに日常すぎて覚悟とは呼べないものになっていた。
危篤になるたび震え上がり泣きまくり落ち込んでは、
どうしたら24時間いっしょにいられるか、など考えたりするわけだが、
結局はいつも「発作の末にひとりで死んでもしかたない、
れんちゃんはそういうコなんだから」と結論して、家を空けているのだった。

今だって同じだ。この先に想定された苦痛を怖れ、
自分がそれに24時間付き合ってあげられないという理由で、
れんちゃんの命の期限を決めてよいはずがない。
体の不具合に嘆くことも不満を言うこともなく、
驚くべき年月を生きて来たれんちゃん。
その生命力に区切りをつけることは、とても傲慢なことだと気づいた。
致命的な外傷や病気の末期など、救いようのない状況での安楽死はあり得ると思う。
脳も心臓も治せないけれど、今のれんちゃんはこれまでと変わらず生きている。
生き抜く権利があり、その力がある。

動物は自分から「もう死なせてください」とは言わない。
彼らには「生きる」ことしかない。
だからこその、宮崎での口蹄疫の際の殺処分や、
福島の警戒区域での餓死、殺処分、安楽死、安楽殺、
殺すための柵、生かすための柵への葛藤と闘いがあった。
生きようとするものの命の期限をニンゲンが決めるとは、
どういうことなのか。
風太と、こんなにもか弱いれんちゃんが生き続ける姿から、
学んだはずではなかったか。
生きているからできること、そのすべてから体が脱するのだから、
手間も時間も負荷もかかるに決まっている。
でもそれは、生まれて来ること、生きていることと同じに尊いことなのだ。


れんちゃんを腹の上に抱いて、ただ座って、考えていた。
自分で考えているというよりも、それはれんちゃんから私の心に
流れ込んで来る清流のようだった。
退院して、こんなに穏やかな時間をいっしょに過ごせるとは思っていなかった。
(そもそも酸素室から出すとは…)
ほんとうはこういう時間を持とうと思えばいつだって持てたはずだった。
れんちゃんが、教えてくれたこと。
れんちゃんと話して決めよう、そう考えたことだけは正しかった。


コケコッコー(いねえよ)
朝6:00。

明らかに峠を越えた、回復系女子 降臨。
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朝日とともに目覚める植物のように、
れんちゃんは立ち上がった。
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えと… おはようさん…
起きるの? 生きるの? 風太はどした?
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れんちゃんの目が答える。
アタシ生きているよ。
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うん、でも、マスクはしておこうね。
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主を失った酸素室、全開。ハハハ
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でも酸素はだいじですよね、たぶん。
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ムクリッ
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えと、そんなに起きるのならお薬も飲んでおきましょうか。
ごはんも食べてみましょうか。
食べましたよ、シリンジ6本分。
七夕に安楽死とか言ってたのはどこのアホウですか。

またれんちゃんの目にお空を見られるとはね。
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風太はれんちゃんを連れて行かなかった。
まだ出番ではなかった。
私が泣いて頼んでも、れんちゃんの命に期限をつけなかった。
生きる力を尊ぶとは、そういうことだね。
でもそのときが来たなら、風太は必ず来て、
胸を張ってしっぽを立てて、れんちゃんをエスコートするだろう。
この世にあって盲目であったれんちゃんの目が、
あの世でも盲目であるとは思わないけれど、頼んだよ、風太。


お別れはもうできた。自分の迷いと。
たとえずっといっしょに見送ってあげられなくても、
それはれんちゃんの、命の時間。

きみと生きよう、最期まで。
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15分おきに様子を見ながらこれを書いている今も、
れんちゃんは驚くほどすやすやと寝ておられます。
昨日は二回もあくびを目撃。起きてはノビしたり、転がったり、
これってただの長い昼寝中の猫じゃぁ…と思えたり。
おなかが動いているのを触らないとわからないくらい穏やかな息です。
危機が去ればまた、呼吸のひとつひとつに感謝を覚えることもなくなり、
だからこうして生と死は、光と影のように、同時にここに存在している。


えと、最後にようやく銀次親分。
日曜の夜、私が早く帰ったときの外からのお姿です。
貫禄ゥ。カクイー
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「まかしときナ」とアフレコしたいところですが
「置いてくとかマジゆるせねー」という感じだったようです。

昨日は自宅にいさせてもらい、ご機嫌取り係を数名派遣しましたが、
完全にスネて、完全にトボトボしてたそうです。
ごめんなさいよ銀さん…
銀さんがツンデレの皮を被ったデレなのは知っていますが、
今はどうか持ちこたえておくんなせえ。



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