兄さん

むかーしむかし、私が大学生だった頃。

ある夜の帰り道、ヒト気のない住宅街でおばさんが一人、
コンビニ袋をぶら下げて向こうから歩いて来た。
すれ違った瞬間、かすかに子猫の声が聞こえた気がした。
辺りを見回したけれど姿はなく、声はおばさんとともに遠ざかっていくようだ。
まさかあの袋の中に子猫が…?

そうでないことを願いながら、私は距離を置いておばさんの跡を付けた。
おばさんは広い空き地まで行き、少し立ち止まり、また引き返して来た。
おばさんの手に袋はなかった。
子猫の声は空耳か偶然だったかもしれない。おばさんはただゴミを捨てただけかも。
でももし猫だったら…
私は再びすれ違うおばさんをやり過ごし、空き地まで走った。



コンビニ袋は空き地を囲っている植え込みに捨ててあった。
私は座り込み、キツく縛られた袋の口を開けた。手が震えていた。
やっと結び目がほどけると、さらに薄いビニール袋が入っていて、その口もキツく閉じてあった。
結局薄いビニール袋は五重になっていて、ご丁寧に5枚ともいちいち縛ってあった。
ようやく最後の一枚をほどくと、それが産道であるかのように
生まれたての濡れた猫がわらわらと這い出て来てぼとぼと草地に散らばった。

正確に言えば、その瞬間猫には見えなかった。
濡れネズミという言葉がぴったりで、ネズミかもと思った。
ネズミ色で、毛は全身べっとり濡れて、
もちろん目も開いていないし、耳もほとんどないし、
その上へその緒をぶらさげていた。

な…なんやコレ… ネズミ?
でもミィミィ言ってる…
生まれたての猫… 五匹…

おばさんを追いかけようかとも一瞬思った。
でも、追いかけて、なんとかしろと言ったところで、
なんとかするようなヒトなら最初からこんなことはしない。
とか言ってる間にも死んでしまうから、ともかく何とかしなくっちゃ。
怒りと焦りで、ずっとブルブル震えていた。
両手に抱えた五匹の濡れネズミ。

家族はみんな猫嫌いなのでいきなり連れて帰れない。
近所に住んでいた一人暮らしの友だちのところに駆け込んだ。
猫は大好きだけど、飼ったこともないし、何も知らない。
携帯もネットもない時代、真夜中に調べられることもない。
ただ「体をあっためてあげなきゃ」ってことと、「ミルクを飲ませなきゃ」と思って
その夜は薄めた牛乳をあっためて吸わせたのだった。
今では知ってる。子猫に牛乳を飲ませてはいけません。下痢しちゃう。

翌日になってどこかで子猫用ミルクやスポイトを買って来た。
猫を飼ってる友だちに電話して、子猫の育て方をいろいろ習った。
お医者さんには、そこまで小さいとできることはないと言われたので病院には連れて行かなかった。
授業もサボって、家にも帰らず、寝ないで猫の世話してたんじゃないですか(いけませんね)。


明らかに弱ってるコが一匹いて、三日目に帰ったら動かなくなっていた。
その体のあまりの小ささとかよわさに、悲しさよりも
「しかたない」という気持ちの方が大きかった。
あんなヒドい捨てられ方をしたんだもの、生きられるわけがない。
お母さんに会うこともなく、出て来たところをビニール袋で待ち構えられて。
五重にフタをされて、ゴミ袋に入れられて。

こんなふうに、自分の知らないところで死ねばいいと、あのおばさんは思ったんだ。
自分ちでなければいいと思ったんだ。
自分ちで生きててほしくはないけど、自分ちで死んでほしくもない。
かといって、他の人に拾われてしあわせになってね、でもなく、
誰にも見られない場所でしばらく苦しんでから死ぬ方法を選んだんだ。

なぜ自分ちの生ゴミで出さなかったのか。
台所で一晩蠢いているのが気持ち悪いからだろうか。
どこへ置いて来たって、一晩苦しんで蠢いているに決まってるじゃないか。
五匹の子どもを産んだばかりの母さんはどうか。
腹の中で育て、今苦しんで産んだコらは、どこへ行ったのか。
動物は、そんなことすら気づかないとでも思っているのか。

生かすも殺すも「自分でやらない」ことに対して「間違ってる」という気持ちは、
このときはっきりと私の中に生まれた。

知らないでいれば私も、外にいる猫たちが「かわいい」だけで済んでいた。
たまにごはんあげたり、あげなかったり。
会えると自分がうれしいから、そこにいてほしいだけだった。
でもこうして「無駄に生まれた」ことになって殺されてゆくコたちはきっとたくさんいて、
こうやって夜中に捨てに行くヒトがいるんだと、目の前で知ってしまった。
生まれた瞬間にこんなにしてまで捨てるなら、生まれないようにする方法はなかったのか。
のちに地域の野良猫問題に関して学んだことを、そのとき私は初めて問題としてとらえ、
考え始めていた。


ともかく今は、目の前の命。
劇団の仲間も泊まり込んでくれて、みんなで交代で寝ては起きて
2~3時間おきにミルクをやった。
表を作ってミルクの飲みっぷりやうんちやおしっこの様子なども書き込んだ。
私たちの誰も、そんなに猫のことは知らなかった。
でもなんとか生き延びてほしくて必死でありながら、
突然始まった共同生活を楽しんでもいた。

二匹目と三匹目(二匹とも三毛だったので女子)は
しばらくがんばったけれど、一週間が過ぎてから続けて死んだ。
五匹分が並んだミルクうんち表は、半分以上がとちゅうで空欄になった。
隣が広い空き地だったので、こっそり土に埋めた(いけませんね)。

今なら知ってる。子猫にミルクを飲ませるときは、立たせて飲ませなくちゃいけない。
母猫のおっぱいを吸うのと同じ体勢にしなくちゃいけない。
それを知らないと、つい手のひらの上で仰向けにして飲ませてしまう。
それで喉に詰まって死ぬ。
ずいぶん後になってそのことを知って、私が殺してしまったんだと今も思っている。
でもそうやって、二度とそうしまいと学びながら、みな猫母さんになってゆくのだ。


ようやく目が開く頃(二週間くらい)、二匹のオスが生き残っていた。
真っ黒な「ひじき」は一ヶ月くらい生きた。
目が見えるようになって安心したし、二匹で遊ぶ姿なんてモーレツにかわいかったから、
死んだときは悲しかった。猫捨てへの怒りもぶり返した。

あんなにもいっしょに暮らしたかった猫とこんな出会い方をし、
うまく育ててあげることもできず、約一ヶ月で四匹も
土に埋めなくてはならなくなるなんて、ズタズタだ。
その命はあまりに儚く手のひらからほろほろとこぼれ落ち、この世に留まることはなかった。
一口もお乳を飲めなかったコたちがどれほど弱いかを思い知った。
雲と龍を拾ったときも、毛は濡れていなかったけれどあまりに小さかったので、
お乳を飲んでいなかったらアウト、と覚悟したのはこのためだ。

そして最後に残ったのが、キジトラ白の「小鉄」。
じゃりん子チエに出て来る小鉄みたいに、強くなれとつけた名前だった。
ひじきのからだを土に埋めながら、「小鉄は絶対に死なない。
兄弟の分を併せて五匹分生きる」と唱えていた呪文の効力か、
素人すぎる私に育てられながらも小鉄は奇跡的に成長した。

あるとき、かわいいさかりの小鉄を実家に連れて帰った。
このかわいさ、そしてゆく当てのないこのコを、さすがに追い出すことはしまい、
という作戦はうまくいった。
そして小鉄は正式に家を得て、名に恥じないオトコとして育っていった。


私はもともと猫アレルギーで、猫に触るとくしゃみやモーレツな目のかゆみが止まらなかったのだけど、
このとき一度にたくさんの猫に初めて接したため、ついにぜんそくを発症した。
救急病院に駆け込むほど喉が締まって息ができないことが続いた。
アレルギーテストの結果を見たお医者さんは「すぐに猫やめなさい」と言った。
原因に対する過敏度が通常の何千倍とか出ていた。
猫やめるってどうやめるんだよバーカ! と、
(陰で)悪態をつきながら病院に通ったものだ。
小児ぜんそくと違って、大人になってから発症するぜんそくは一生付き合う病気、
と言われたけど、3年くらい経ったらもうすっかり出なくなった。
今ではそんなことすっかり忘れている。
小鉄はアマアマでもあったので、寝る時はいつもベッドでいっしょだった。
猫の毛厳禁な私の顔面にまたがって寝ていた。
まぁそれで抗体も、これは強くなるしかないと諦めたんじゃないだろうか。


私は4年後に家を出たけれど、小鉄兄さんはその後十年、
実家で雄々しくしあわせに暮らしていた。
猫のことをよくわかっていなかったので、自由に外と行き来させていた。
それで普通だと思っていた。エイズや伝染病のこともほとんど知らなかった。
今なら完全室内飼い以外の選択はない。これも後から学んだこと。
よくケンカや交通事故や伝染病で死ななかったものだ。

外に出るのを止めようとしたって、小鉄はガラス戸も腰を使ってガラッと開けるし、
網戸も網に爪を差し込んでスルッと開けるし、押し入れから翻って天袋も開けて天井裏も入るし、
ドアノブも回すし、トイレもヒト用のトイレでできたし、
「ごはん」とか「いーちゃん」とかしゃべってたし、
「バーン」死んだふり… もできたし、「だるまさんがころんだ」もできたし。
ケンカして帰って来ると、必ず前面、主に顔を怪我していた。
背中を丸めて逃げないオトコな証拠だよ。
絶対負けない、家猫にしてまさに近所の親分だった。

兄弟がみんな死んでしまった上に私が甘やかして育てたので、
噛み癖の直らない乱暴なオトコでもあった。
手首は常に傷だらけ、遊んでいるつもりがキバが骨まで突き抜けてたりした。
マジで、「殺す気か!」って叫びたいほど、痛いんだ。
動物病院では革の手袋をはめて防護している先生にさえぶん投げられていた。
家族も友だちも、これにはずいぶん参っていたな、ごめんなさいね。
未だに「小鉄は怖かった… だから猫怖い…」とトラウマになってる人もいる。ごめんなさいね。

近所の家の金魚を捕ってきちゃったり、亀の水草引っこ抜いちゃったり、
部屋の中がスズメの羽だらけだったときもあったな…
家の中は柱も障子も襖も原形を留めていなかった。
ともかく、野性味あふれるオトコだった。
今思えば家族はよく我慢してくれてたもんだ。ごめんなさいね。

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実家を出るとき、連れて行こうとは思ったけれど、
行く先はマンションだし、獣医さんに相談した。
私がいなくなるのと、住む場所が変わるのと、どっちがストレスになるんでしょう。
先生は言った。
「正直言って、あなたがいなくなることは猫にとってどうってことないです」
ガーン

この点でも思う。ネットがあったなら、同じような選択を迫られている人や
経験談などをもっともっと参考にできただろう。
当時は、「そっかぁ、ガーン、でも自由に外に出られた方がいいよね…」
と素直にそう思ってしまったのだ。
まぁいろいろ反省はありつつも、あの時の小鉄はあれでよかったと思うけれど。

しばらくぶりに実家に帰ってみたら見事に忘れられていて、
塀の上の小鉄兄さんと目が合ったら
ホアァォオーー! とものすごい顔で威嚇されて凹んだなぁ。
ハァ猫ってほんとにそんなもんなんだ…って。

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その後私はれんちゃんを引き取ることになり、健康な猫には不要な多くのことを
また新たに学ぶ日々だった。
ネットも開通して、猫好きや猫先輩と意見を交わして教えてもらったり、
泣いたり怒ったり、怒られたり、喜んだり。

14歳を過ぎ、小鉄兄さんもついに弱って階段を下りられなくなってきた、
という話を母から聞くようになり、ある夜、もうダメかもしれないと電話があり、
弟のナオトと急いで店を閉めて、実家に駆けつけた。
あの時も、一歩間に合わなかった。
母の腕の中で、一分もしない前に息を引き取ったところだった。
「ほんとうにたった今よ」と母は泣いていた。

猫嫌いだった母は小鉄と暮らした14年の間に
猫グッズを集めるほどの猫好きに変身していた。
だったらもっと早く改心してほしかったゼ。
私の猫との子ども時代を返せー

とはいえ私に代わって10年も面倒を見てくれたのだ。
家を出た私のために小鉄兄さんが待っていてなどくれるものか、
母の腕の中こそふさわしい、と納得した。
初めて触れた猫の尊厳ある死だった。

小鉄兄さんの体は、哲学堂動物霊園の合同葬で送った。
それから何年かは、命日にナオトがお参りに行ってくれた。


私の猫生を拓いてくれた最初の猫、小鉄兄さん。
2004年10月28日に昇天しました。今日は七回忌。
今年はこうしてあなたのことを想っています。
昨夜まどかちゃんと話していたけれど、雲と龍はこの9月で7歳になった。
ということは、雲と龍を育てていたときに、小鉄兄さんを見送ったんだなぁ。


産声はすでにビニール袋の中だった小鉄。
それでも全身の力で、通りがかった私を呼んでくれた。
小鉄兄さんと出会わなかったら私は猫アレルギーも克服できず、
猫を捨てること/拾うことに関わることはなかったかもしれないし、
未だに猫と暮らしたことのないヒトだったかもしれない。

猫の14歳は平均寿命でもあるけれど、五匹分の生涯には全然足りなかった。
小鉄はもっと化け猫になるはずだったのだ。
しかし小鉄は、寿命をひとり占めすることは選ばず、
魂になって私の守護猫となり、私のところにやって来る猫たちに
命を分け与えているのだと今は思っている。

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れんちゃんも、あなたと同じ14歳になりましたよ。
風太はあなたの弟分としてしっかり働いていますか。
そして、おかげさまで銀次親分は今日も元気です。


こちら本日の銀次親分。非稼働率98%。

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猫や。
きみたちを捨てたニンゲンが憎かろう。
でも顔を知らないからってあらゆるニンゲンを憎んでいては辛かろう。
ならば私を憎んでいいよ。
その怒りと同じだけの愛情を、私はきみたちに返したいと思う。
返しきれないだろうけれど、やってみるよ。
捨てるヒトばかりだったとしたら、
そんな世界は、私もいらないんだ。
だからこれはきみたちのためではなく、自分のために、やるんだよ。
by ginji_asakusa | 2011-10-28 23:32 | 記念日


浅草ギャラリー・エフの看板猫・銀次親分の日々。


by 銀次親分

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